記憶や感覚を切り離すのは、身体の防衛機能のひとつ

思うこと考えること

こんにちは、カウンセラー洋子です。

じんましんが体に出て、今日で二日目になる。

じんましんが広がって24時間以内に病院で治療を受けたので、これ以上ひどくなることはないだろう。それでも、まだ。いつものように長い時間、机の前に座ろうとすると圧迫された足の裏にじんわりと赤く、じんましんの元が浮いてくる。しばらくは、長時間同じ姿勢をとらないこと、歩いて体温を上げすぎないことが必要かもしれない。

じんましんが体に出てくるきっかけは、食べもの、薬、物理的な刺激(皮膚をこすったとか、圧迫したとか)、汗をかいたなどであると知られている。けれども、今、皮膚の表に出てきているじんましんが何をきっかけにして起きたのか。その理由は原因は、あまりよくわからないものらしい。

けれど、今回のじんましん。おそらく、心のストレス反応からひきおこされたものではないかとわたしは感じる。

それは、「夫婦のお金」を考える機会ができて、少し多めに考えすぎたから。
記憶の底へ隠してあった離婚のときの記憶をうっかりと少しほどいてしまったから。

記憶にしたくないほど嫌なことが暮らしの中で起きた時。人は考えることをあきらめて、心の底へぽいっと放り込んで隠してしまうことがある。耐えきれないと感じた記憶や感覚を切り離して、記憶の底へ封をすることがある。

その記憶に触れてしまった。

もう、離婚してから15年は経ってるけれど、心の底の奥へと厳重にしまいこんでいた記憶はどこかで「夫婦のお金」とつながっていた。「夫婦のお金」をきっかけに触れてしまった、離婚した時期の記憶は、チルド保存されたお刺身のよう。今、ふれても新鮮で、思い出すほどに生々しくわたしを苦しめる。

まだ、今のわたしでは、その痛みに触れるだけの元気は持ってないんだな。
心の痛みを解きほぐせる気がしていないし、まだ向き合おうという準備もできていない。

だから、じんましんが出てきて、身体のかゆみが出てきた。
かゆいから、落ち着いて考えることも、机の前に座ってみることも難しい。
……その嫌な記憶に向き合えない、はっきりした理由っぽいものができた。

身体の防衛反応が出るのは、すばらしい。

今は、とりあえず。
「夫婦のお金」を考えるのをやめておこう。
離婚のときに考えていた、一般的で普通な夫婦の形のことを考えることもやめておこう。
逃げられないほど、しばりつけられた(と感じた、あの頃の暮らし)のことも考えるのはやめだ。

今、ここで。わたしは幸せに暮らしている。
過去に感じていたあの記憶や感覚を、幸せな解釈に変えていくことを焦らなくていい。

いずれ、その時が来たら。過去についても、向き合うかもしれない。
でも、身体の防衛反応がつくってくれた「記憶や感覚の切り離し」を意味あることとして受け入れてみよう。記憶を感覚を切り離してチルド保存し、とりあえず見えない場所へしまっておいたから回復できた心もある。

逃げることも、立派な戦略。悪いことではない。
ひとまず危険からは逃げて、そのうえで。あらためて時期を見て向き合いなおす。

それでいい。

そして、わたしのじんましん。
薬を飲んで、ゆっくりと寝転がって。好きな本を読みながら、好きなことを調べて。
治った後に食べるものを楽しみに待ちながら過ごしてみたら、

あさってくらいには落ち着いている予定。

洋子

カウンセラー。得意技は「見えないものを見える形に」
自分らしく幸せに生きる姿を自分自身で描き出せますように/根本裕幸師匠の弟子2期生◆普通や世間に生きづらさを感じていたADHD,HSP当事者、うつ卒◆自分のままで生きると決めたあなたの幸せに向かう物語を引き出す聞き手&語り手。
◇ 双極性障害II型と解離性障害を乗りこなす、じぶん探究家。モットーは、笑顔ではなうた。

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