まさか、休み方がわからないなんて。 嘘のようなほんとのおはなし。
うつ病な人としての「正しい」休み方がわからない
とりあえず、休んだ。そんな雰囲気を出してみる。いつものお休みの日にしていたことを、あれこれとやってみる日々が始まった、休職のはじめの時期。
本を読む。部屋を片付ける。街へウィンドウショッピング。ごはんを食べに行く……
なんだか、余計に疲れる。
本のなかにある活字は、もりもり、紙面からあふれてくるように思える。
人がたくさんいる街の中。 ざわめきが、耳を激しく刺激して、吐き気がするような気持ち悪さ。
それでも、わたしは休まなければならない。
〇〇セラピーという名前のつくものを、あれこれと渡り歩く日がはじまる。セラピーをあれこれと受けているのに、やっぱり、疲れる。頭のざわめきは、いっそうひどくなる。
ついに降参。心療内科で心理療法士さんに質問した。
「休み方がわからないのです。休み方を教えてください」
「何もしなくていいんです。ぼんやりして下さい」
「とにかく、ぼんやりしてみてください。ぼけーっと」
何を言っているのだろうと、不思議そうな顔をしながら心理療法士さんは言うけれど。
その、ぼんやりするってのができないから、わたしは困ってるの!!
まず、ぼんやり過ごすのがどういうことかわからない。いつも、頭の中がおしゃべりで、ぼんやりな感覚がわからない。何もしないぼんやりを過ごしていると、何もできなかったことにショックをうける。何かが、わたしをぎゅうぎゅうと押しつぶしに来る。頭が痛くなる。
「ぼんやり」の適量は?
何もできなかった。自分がショックを受けるくらいが「ぼんやり」の適量だと心理療法士さんは教えてくれた。
休職ときくからには、何かをしなければならないとわたしは思ってきた。
何かをやってみたいかな。と自分の中からふと思えるときまでは「ぼんやり」を試してみましょう。
ひたすら怠惰に。だらだらと。
うつ病を回復するために、気分転換をしなければならない。気分がうきたつようなことをしなければならない。
それらはやらなくていい。とにかく、自分の内から「ふと」何かをやってみてもいいかなと思えるときが来るから。それまで、なにもしない。
そのこと聞いてからは、気分転換を積極的にしに行くことは、やらない。と決めた。
頭の体力をもどすまで何もしない
「何もできない休日」を毎日、くりかえすのは、頭の体力を回復させるため。
心にぱっくりあいた穴をふさごうと、いろいろな考え・思考で動きすぎて流れ出てしまった体力。
あいた穴がふさがっていくまで。ゆっくりと、穴がふさがるのを待つ。
とにかく体力の回復を待ちつつ。省エネで
休みの日は、体力の回復を待つ。そして、気力の回復を待つ。
「疲れる」と感じることは、やらない。
〇〇しなければならない、ことはやらなくていい。ひたすらに、ぼんやりと休む。
何かを試しても、疲れたらやめる。
自分の好きなことは、自分の身体(体力)と相談してやってみる。でも、疲れたらすぐやめて、とにかく休む。
自分が考えているより、身体の体力も心の体力も、どちらも控えめになっている。身体も心も限界がきてしまったからうつ病になったのだ。思っている以上に、活動によって流れ出ていく体力量が多くなってしまっている。
だから、省エネを目指す。
省エネで動く。そして「動く」の隙間はぼんやりと休む。
何もできなかったと思ってしまったら、それは「正しく」休むことができた証拠。しっかりとぼんやりできたということ。
しっかりと休めていれば、回復へ向かって少しずつ進んでいる。そのはずね。たとえ自分に回復の実感がなかったとしても、じんわりじわじわ、身体と心は回復へと向かっている。