たのしく悩むこともできる

こころのヒント_自分を癒す

こんにちは、カウンセラー洋子です。

修行僧のようだと指摘されるほどに、突き詰めて考えてしまう。悩んでしまう。もう悩むのは趣味だといえるくらい、よく悩む。

趣味のように悩んでしまうなら、笑って悩んでみよう。楽しく 笑いながら悩めたら、受け入れづらかったこともするりと受け入れられるときがある。笑いにまぎれて、より深く理解が進むときがある。

集団行動が得意だと言いづらいわたしは、集団での立ち位置(コミュニティー内での自分の役割)によく悩む。

何をすれば、コミュニティーの中でわたしがお役に立てそうかを悩む。わたしはそのコミュニティーで、どのようにふるまいたいのかを悩む。

他人の顔色だけを窺ってしまう他人軸にはならない、と決めて。自分の思いを保ったままに、周りを見ながら、他人にも心を配りたいと願っている。

眉間にしわをよせて、ぎゅっと力を入れて悩んでも、なかなか自分の思いははっきりしない。「こうしたい」という願いと「こうあってほしい」自分への願望がごっちゃ混ぜになってしまっていた。

そんなときには、架空の世界の中に場面を移して、自分のことをたとえ話のように考えてみる。そうすると、少し客観性をもって自分の悩みを見つめられる。根本カウンセラーがいうところの自立系武闘派女子に分類される方ならば、武将イメージで妄想をすすめてみてはどうだろうか。笑いながら妄想が進む。

「もし、自分が武将だとしたら? その村の中での立ち位置はどんな風だろう。何をして村に貢献してるかな」

架空の村でのわたしは、隠密部隊の自治領長。村に情報や知識行動などで貢献はしているのだけれど、いつもは何をしているのかはわからない。気づかれないように、こっそりと動いている。当然、村の表舞台でくらしている人たちとは生活リズムも違っている。それでも確かに、村民のひとりだ。同じように生活リズムの違う人たちとやりとりしあいながら、村と重なって生きている。

そして、いざ戦のそのときが来たら。隠密はこっそりと戦いに臨む。一番槍をめざして突撃はしないけれど、屋根裏に潜んでみたり毒矢を使ったり、集団の最前線ではない場所でわたしの戦をする。

わたしも一番槍をやってみたい。武闘派な華々しい場を味わってみたい。その思いはあるけれど、隠密は一番槍をする係ではないのだ。他の方法で、あざやかに華々しく活動している場を持っているはずなのだ。

そう考えると、わくわくした。楽しく悩めるし、楽しく自分のことを受け入れられる。

だから、自分なりに。コミュニティの中で貢献できることを、できるようにやってみる。試してみる。それでいい。

レゴ風な武将たち、せいぞろい

ひとりで考えて深刻化しそうに思えるときには、この人は!と思える友人とお茶でもしながら、架空の世界で遊ぶのもいい。

自分が、そのコミュニティの中でどのように貢献しようか。笑いながら、一緒に考える。

友人と考えてみた架空の世界でも、やはり隠密としてわたしは村に貢献していた。一緒にお茶をした友人も、どちらかというと隠密系。いつもは村人の中でふつうに暮らしているのだけれど、その正体は隠密、そんな設定の隠れ隠密。

隠密部隊にいるのだから、わたしは村の中でのテンポにあわせられなくても不思議ではない。コミュニティの中で、大勢と同じように動けなかったとしても、しかたがない。同じように動けなかったとしても、じぶんには自分にできる役割があると理解できる。だって、隠密部隊なのだから、しかたがない。

隠密が隠密らしく、村に貢献するにはどうすればいいか。笑いながら、考える。わたしがわたしのままに、コミュニティに貢献するには、何ができるか。笑いながら、腑に落ちていく。

人間関係の悩みやコミュニティでの立ち位置についての悩みは、架空世界へと悩みの場面を移して考えてみる。妄想をはたらかせながら、笑いながら考える。楽しみながら悩み、考えることができる。そうすると、同じ悩みだとしても、少しお気楽になれる。

つい悩んでしまうなら、自分が楽しく悩むための舞台づくりを試してみてはどうだろう。 妄想も使って、楽しく悩んでみたい。

おいしいもの目の前にして話すとさらに楽しい
洋子

カウンセラー。得意技は「見えないものを見える形に」
自分らしく幸せに生きる姿を自分自身で描き出せますように/根本裕幸師匠の弟子2期生◆普通や世間に生きづらさを感じていたADHD,HSP当事者、うつ卒◆自分のままで生きると決めたあなたの幸せに向かう物語を引き出す聞き手&語り手。
◇ 双極性障害II型と解離性障害を乗りこなす、じぶん探究家。モットーは、笑顔ではなうた。

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