認知症の患者さんと向き合ううちに「うつ傾向の人でも、ものを作ることで喜びを感じる」ことに、 齋藤さんは気づいたそうだ。 これは、齋藤亜矢さんの著書「ルビンのツボ」を紹介する記事にでてきた言葉。それをみて、うつ病からの回復の時期にパンをしょっちゅう焼いていた時期があったことを思い出した。
パンを作り始めたのは、うつ病で休職をし始めて5か月くらいたったころ。求職者のための復職訓練に通い始めたのもそのころだった。鬱うつと重苦しい気持ちと身体が、少しずつ元のように動かせるようになってきた時期。
「物を作ると気分転換になるから、楽しかったことにつながる心のセンサーが回復するかもよ」
まだ、気もちの動きは鈍く、楽しいや嬉しいといった心うきたつ感覚がなかなか湧いてこない。その時に物を作ることを療法士の先生にすすめられた。
食べることが好きだった私はパンを作ろうと思った。パンを力いっぱいこねる、粉にふれる。形作ってオーブンで焼く。自分で作るパンはきっとおいしいだろうから、食べたい気持ちも戻ってくるかもしれない。パンの焼けるにおいが詰まったキッチンのとなりで眠るのはきっと気持ちがいいだろう。
小麦粉やイーストを買ってきて、パンを作った。思い立った時間にパンを焼いた。
パンをこねるのは楽しい。手に貼りついてくるパン種の感触。ばたんぱたんと聞こえるガス抜きの音。そして、パンを丸めて好きな形を作っていくのは粘土あそびにも似ている。いつもは触れない感触のものを触り、小さいころに戻ったかのようにパン種で粘土あそび。できあがったパンは自分で食べて、おいしい。
パンを作っている間は、パンのことしか見ていない。パンを作っている時間は、パンのことで頭をいっぱいにしている。パンをこねてる時間は、どこか瞑想にも似た静かな時間。 自分の内をながめて、あれこれと思い悩む時間を持てない。
パンを作り続けるうちに、自分の内にある楽しかった気持ちが心の表面へとじわじわと浮かび上がってきた。食べたい気持ちを思い出してきて、パン以外のものも食べたいと口に入れるようになったからか体力も戻ってきた。
復職支援プログラムに参加していた方と情報交換する場があった。 ものづくりを進められ、パンを作っている方が数人いた。アクセサリー作りをしている人、革細工をする人。それぞれの好みに合わせたものづくり。
気力が戻ってきたからか、体力が戻ってきたからか。療法士さんに言われるから治りそうだと暗示がかかったからなのか。理由はわからないけれど、ものを作り始めてから随分と顔に表情が出るようになってきた。気づいたら笑えているときがある、笑う回数も増えてきたかもしれない。
今はむかしの、ものがたり。
物をつくることで、楽しさや喜びにつながる心のセンサーのラインは回復する。その体感は、今もわたしの楽しさや喜びを支えてくれる。
最近、すこし楽しいことが減ってきた(と感じる)かな?
そんなときには、物を作る。
パン、アクセサリー、日常の料理、模型、プラモデル、工作、折り紙などなど
……自分が好きなものを好きなようにつくればいい。
物を作ることで、楽しさや喜びの心のセンサーへのつながりが取り戻される。